悪マナーの常連「トイレ問題」
トラックドライバーのマナー問題に触れる際、避けて通れないのは、「トイレ問題」。いわゆる「立ち小便」と「黄色いペットボトル」に対する問題です。トラッカーズ通信でも過去に少し言及したかと思います。
以前にお話している通り、「立ち小便・黄色いペットボトル=トラックドライバーの仕業」というわけではありません。乗用車のドライバーも人間なので生理現象は同じようにあり、我慢できず同じようなことをしている人もいるはずです。しかし、SNSでトラックドライバーの「証拠動画」が拡散されたり、車高の高いトラックでないと捨てられないところに放置されたりしているペットボトルを多く目撃するのも事実です。
ご存じの通り、トラックドライバーが使用できるトイレの少なさは、長年議論されては解決に至っていない闇深い問題です。車体の大きさゆえに、たとえコンビニや公衆トイレが目の間にあっても駐車場がなく、涙を呑んで通り過ぎざるを得ないことも多くあります。それに加え、オフィスワーカーのように近くに必ずトイレがある環境とは違い、ドライバーはトイレのない道路にいる時間が長いです。交通渋滞にもハマれば、より一層「トイレへの道のりが遠のく」というジレンマもあります。
“黄色いペットボトル”の被害者たち
とりわけこの黄色いペットボトルの目撃者になりやすいのが、それらを清掃する各自治体の職員や施設のスタッフ、そして同じ車道を走る「サイクリスト」(自転車乗り)です。彼らは目撃者となるのと同時に、「被害者」になることも非常に多いです。
以前、ある市の清掃員に話を聞いたところ、十数年前よりは量は減ってはきているものの、工場地帯や信号の手前にはコンビニの弁当容器と一緒に、その黄色いペットボトルが捨てられていることが多く、処理のために開封する時は、怒りとともに自分自身「何をやっているんだろう」という情けない気持ちになると漏らしていました。
同じ車道を走るサイクリストは、やはり道路上にペットボトルが落ちているのをよく見るといいます。右高左低という道路の構造上、彼らが走らされる車道左側にゴミが転がり集まりやすく、それらを避けて走る度に不快な気持ちになるとのことでした。 これらに対して、現役トラックドライバーたちに意見を求めると、 「同じドライバーとして恥ずかしい」 「DNA鑑定してやりたい」 「正直、運転手の自分ですら、『トラック運転手ってクズばっかだな』と思ってしまいます」 といった怒りの声が集まりました
中には 「袋詰めされたものが自分のトラックのチェーンフックに引っかけられていたことがある」 というドライバーも。 こうした事例含め、この黄色いペットボトル問題においては、清掃員やサイクリストと同じくらい、いや、社会的地位を貶めるという観点から見ると、良マナーで走るトラックドライバーもれっきとした被害者だといっていいでしょう。
企業がすべき「教育」とは
立ち小便しないこと、黄色いペットボトルをポイ捨てしないことは、「トラックドライバー」以前の問題で、人間としてごく当然のことだということは言うまでもありません。それゆえ「立ち小便・ポイ捨てしない=良マナー」とするのも非常におかしな話なのですが、こうした一部の悪マナードライバーの強烈なインパクトのせいで、日々マナーを守って走り続けるトラックドライバーや、毎朝会社周辺のゴミ拾いをする運送企業も結局ひとくくりにされ、悪いイメージが付いてしまっている実態。
毎度言うことなのですが、そんな業界の社会的地位を上げるためには、業界外からの理解とイメージアップが欠かせません。そのためには、やはりトラックで社外へ出るドライバーへの「道徳的教育」を基礎からしていかねばならないのです。 経営者の方からは、「そんな人間的に当たり前なことを教育しなければならないのか」「そんなマナーの悪い人間をわが社では採用していないから大丈夫」という声を聞くことがあります。が、トラックドライバーは単独で行動をするため、周囲の目が届かない分、どうしても気が緩む人も出てきてしまいます。
運送業界に関わらず、団体に所属する人全員に「常識的行動」をさせることは、それほど簡単なことではないのです。経営陣と個別に対面する時はマナーが良くても、いざ会社を出て単独行動した途端に「社会性」が欠如してしまう人もいることを忘れてはなりません。「道徳的教育」とは、座学や業務マニュアルにある出社時の「確認事項」時の会話だけではありません。ドライバーの個性に配慮したコミュニケーションをとることでも、彼らの社会性や企業貢献意識は高まり、ひいては運転マナーにも繋がっていくものだと私は思っています。